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気がつけば8月、戦争の話をします。

by 沓澤 優子

 毎日なんだかバタバタして、気がつけばもう夏の盛り。お墓参りの季節が来ると、兵隊姿のご先祖様の写真を前に、祖父母たちが生き抜いた時代の壮絶さを思わずにいられない。

 私の祖父は三度戦争に赴きました。本が好きで、国語の先生の夢を叶える一心で戦火を生きながらえ、ビルマで終戦を迎えました。やっと郷里に戻ると、二人の兄は戦死、地主だった所有の田畑は取り上げられ、残された兄嫁と甥、家名を守るため、老いた両親の乞うまま、義姉と結婚したのでした。

 先生になる夢が途絶えても、本を離さず、りんごの品種改良に没頭するなど、良く働いて良く学び、そして良く笑う、陽気なおじいちゃんでした。私の母は祖母が再婚してから産んだ二人目の子どもで、女の子はひとりだったので、可愛がられて育ちました。いつかの8月、子供時代の祖父との思い出の中で、強く心に残っている出来事を私に話してくれました。

 まだ小学生のとき、動物好きな母のために祖父が鳥の巣箱をつくってくれたのだそうです。巣づくりの様子を眺めていたある日、蛇がその巣箱の足元によじ登ろうとしました。それを目にした祖父は、巣箱に駆け寄ると、その大きな蛇を素手で捕まえ、口の両端を持って二つに引き裂いたというのです。いつもは優しくユーモアのある祖父の激しい怒りの形相を目にした幼い母は、ただただ驚いたそうです。

 巣箱の小さな営みを脅かす蛇に、祖父が投影したものは、敵国か、祖国の軍国主義だったのか、今となっては確かめることも叶いませんが、普通の人の心に大きな闇を潜ませ、噴出に抗えないほどの衝動に駆らせる体験とは、この寝ぼけた時代に産まれた私たちの想像力では追いつけないものだろう。

 8月になると各所で語られる戦争体験は、ただ過去のものではない。一党独裁、憲法改正、政治への無関心を前に、識者がこぞって警鐘を鳴らしているように、今の時代には開戦前の政治の空気感が確かにあるようだ。私たちが想像力を放棄し「楽」に逃げているまに、それは足元に忍び寄ってくる。顔が見えてからではもう遅いのだ。

 過ちを繰り返さないために誰もが出来ること、それは、身近な人間に伝えることしかない。子どもに戦争体験を教え、無関心の悪を自覚させること。選挙の重要さを理解させること。

 凄惨な戦争体験がこれから自分の身に起こるものだとしたならば、「選挙なんて行っても無駄」などとのたまう人もいないはずだ。

 

 大学に進学した娘の今年の夏休みの母からの課題図書として、暮しの手帖社が7月に出版した「戦中・戦後の暮しの記録」を用意した。

 小説やドキュメンタリーなど、娘は戦争についての話しを見聞きすることを嫌がる。でも、悲しいから、かわいそうだからと避けることは許されない。悲劇を知ってその再発を防ぐ責任が、今を生きるみんなに等しくあると思うから。

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